ダブルループ学習とは、組織が直面する課題に対して単に行動を修正するだけでなく、その課題を生み出している前提や信念、方針、組織の規範といった「根っこ」まで見直す学習のことを指します。これはロバート・アーギリスとドナルド・ショーンが提唱した理論で、同じ失敗を繰り返さないようにするだけではなく、なぜその目標をそのやり方で設定しているのか、なぜそのルールを守るのかという根本的な理由を問い直すプロセスを含みます。シングルループ学習が「計画された目標を達成するための行動を修正する」ことを指すのに対し、ダブルループ学習は「目標そのものや前提条件を再考する」ことを意味します。
ビジネスの世界でダブルループ学習が持つ意味は、変化の激しい現代の組織にとって特に大きいものになります。市場環境が急激に変わる中で、単に販売戦略を微調整したり、組織内のルールを少しだけ変えたりするだけでは、根本的な競争優位を確保することは難しくなっています。ダブルループ学習は、事業の方向性や意思決定の枠組み自体を見直すことで、外部のショックや内部の変化に対してより柔軟で創発的な対応を可能にします。結果として、組織は同じやり方を繰り返す罠にはまりにくくなり、新しい価値 propositionやビジネスモデルの発見につながりやすくなります。
ダブルループ学習が価値を生み出すのは、何を達成すべきかという「目的の理解」が不十分だったり、過去の成功体験に強く依存していたりする場合が多いからです。組織はしばしば、顧客価値をどう測るべきか、利益をどう分配するべきか、イノベーションをどう評価するかといった点で、表向きの方針と実際の行動との間に乖離を抱えがちです。ダブルループ学習を取り入れると、経営陣や現場の従業員、部門間の対話が促され、なぜその意思決定が適切だと考えられているのかという前提を透明化します。そこから前提自体を修正することで、以降の意思決定が根本的に整合的になります。
実践的には、ダブルループ学習は「前提を問う対話」を組織の基本的な習慣として定着させることが中心になります。具体的には、組織が何を“成功”と定義しているのか、どのような仮説や信念がその定義を支えているのかを可視化する作業が含まれます。理論的には、表向きの“エスプォースド・テオリー”(公式にはこうあるべきだとされる考え方)と、実際の“テオリー・イン・ユース”(日常の行動に根付く暗黙の前提)を区別し、両者のギャップを埋めることが重要です。組織はこれを支えるため、ワーキンググループやクロスファンクショナルな対話の場を設け、誰もが前提を指摘できる安全な環境を作る必要があります。
ダブルループ学習を促進する条件として、心理的安全性の確保が不可欠です。失敗を責める文化や権力構造の偏りがあると、組織メンバーは前提を問い直すことを避け、表面的な適応にとどまってしまいます。リーダーシップは「質問することを歓迎し、反対意見を歓迎する姿勢」を示すべきです。加えて、意思決定の場における透明性、データと仮説の公開、異なる部門間の信頼関係の醸成も重要です。これらが揃うと、組織は自分たちの常識が時として不適切である可能性を認識しやすくなり、前提を検証する対話が日常の業務に組み込まれていきます。
実務的には、ダブルループ学習を組織に根付かせるための具体的な手段がいくつかあります。第一に、仮説・前提の洗い出しです。事業戦略や新規プロジェクトの計画書には、前提条件や仮説を列挙し、それらを検証する予定の実験をセットで組み込みます。第二に、現場でのアフターアクションレビューや「ダブルループ・デブリーフ」と呼べる振り返りの場を定期的に設け、何を信じていたのか、なぜその信念が正当化されたのかを検証します。第三に、インセンティブ設計を見直して candor(率直さ)と協調的対話を報奨する仕組みを導入します。批判的な意見や異なる視点を出すこと自体が成果につながる環境を作るのです。第四に、戦略的な学習投資としての時間とリソースを確保します。ダブルループ学習は短期の成果よりも中長期的な学習効果を重視する性質があるため、会議の長さを削るのではなく、学習の時間を別枠で確保することが求められます。
このアプローチには利点だけでなく課題もあります。前提の検証には時間がかかるため、意思決定のスピードが落ちるように見える場面もあります。また、組織内の権力や政治が前提の公開を妨げ、実際のテオリー・イン・ユースを覆い隠してしまうリスクもあります。だからこそ、リーダーの一貫した関与と組織的な学習カルチャーの定着が不可欠です。適切に運用すれば、ダブルループ学習は単なる組織開発の一機能にとどまらず、顧客価値の再定義や新しいビジネスモデルの創出、さらにはリスクへの先手対応能力の向上といった長期的な競争優位の源泉となります。
要するに、ダブルループ学習はビジネスの世界において、現状の成功要因の背後にある前提を問い直すことで適応力と創発性を高める枠組みです。単なる問題解決や改善を超え、組織の信念体系や意思決定の根幹を再設計する力をもたらします。組織が学習を戦略的資産として扱い、前提を検証する対話を日常的に行えるようになるとき、環境の変化に対する耐性と革新性が同時に高まっていくのです。
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